先のゴールデンウィークは、わけあってまるまる東京で過ごしていた関根デッカオです。所詮は和歌山生まれの田舎者、まとまった時間を首都で過ごすとなると、都民にナメられてはなるまいとの自衛本能が働くもので(個人の感想です)、武装を強化すべく前もってサングラスを新調。さらに思いつく限りの派手な服装に身を固めて乗り込んだわけですが、どうにも肩透かしを食らったような気がしてなりません。
たとえば高円寺などは「いっぱしにカルチャーを語れます」とでも言いたげな相好を、頑として崩してはならない街といった印象が抜けなかったわけですが、必ずしもそうではないらしい。ちょっとでも水を向けようものなら、我が国におけるテクノポップの受容とローカライズに関して延々とご高説を垂れそうな御仁は、むしろ少数派に見えました。彼らにとっては、あの高円寺さえ日常のワンシーンであり、なんら特別な感情を抱いて歩く街ではないのでしょうか。それはそれで意外であり、週末ともなれば祖母に山菜採りや家庭菜園に駆り出される少年時代を過ごした立場からすれば、余計にコンプレックスを刺激されるかのようでもありました。
なで肩を無理にいからせ、警戒感を露わにする自らがアホらしくなったわけですが、ともあれ早くも6月です。今回のお題は「大阪レイニーブルース」。雨の大阪で出会った野良錠剤、看板、健気な傘をぺぺっとご紹介します。
アヒル化する錠剤に都市活性化を思う
大正駅の周辺がにわかに活気づいているらしい。もはや少し前のこととはいえ、水辺にはこじゃれた複合施設ができ、高架下や路地の飲み屋街にも新顔が増えた。ただ、僕などは保守的なところがあるため、それらになかなか足を向けられず、駅前の最適解といえば、おのずと[立呑処 大川]ということになる。人が頼むアテの分量にビビり、流れるような所作で大将にビールを手渡すバイトくんの仕事ぶりに感心する――飲み屋との付き合い方には店ごとに型らしきがあると思うが、かの店で以上の過程を欠かすことは断じてない。
木津川と道頓堀川の合流地点でもある一帯は、別に飲酒を伴わずとも歩いているだけで気持ちのよいところだ。自宅のある野田からも歩ける距離なので(当社比)、近隣の九条で懇意の喫茶店[七番館]との抱き合わせでほっつき歩くこともしばしばである。雨上がりのこの日も、確かそんな流れだった。親水空間の名をほしいままにする遊歩道に、見知った錠剤がガラス片ごと散乱していたのである。
水を含んだ錠剤はこんな姿を呈するのかというのが、率直な第一印象だ。一つひとつがまるでマカロンのように膨張し、垢抜けしつつある界隈の雰囲気と歩調を合わせているようにも取れる。あるいはマカロンの溝にあたる部分から有効成分ホニャララが溶け出し……のような理屈でもあるのだろうか。そんなことを考えもしたが、薬事法抵触のリスクを鑑みるに必要以上に紙幅を費やすことはやめておきたい。これが職業倫理というものなのだろう。
さておき、川べりというロケーションがそう思わせるのだろうか。丸みを帯びたフォルムは例年、大阪の水辺でカルト的なファンを集めるラバー・ダックを想起させなくもない。中之島、北加賀屋にやってくるのが定例化しているが、数のうえではこちらが圧倒的に優勢だ。ロケハンはすでに済んでいる。これを弾みに大正への誘致活動が盛り上がることを期待したい。有力者のみなさん、いかがですか。
“西天下茶屋の母”に最接近した
西天下茶屋というのは実にすばらしい街である。いわゆる都心の下町ながら電車は1時間に2本、花園町方面から歩くにしてもそれなりに時間を要するので、喫茶店にせよ、精肉店にせよ、外界の視線を度外視した通常運行の大阪を演じているのだ。反面では大正に抜ける渡船の乗り場から近いとあり、エンターテインメント性も存分に担保されている。そういった次第で遠方から来客(同性)があるたびに一緒に出かけ、いつ訪れるやもしれぬ望ましいデートの予行演習としてきた。何事も備えは怠らないようにしたいものである。
大阪市内の商店街の多くがそうであるように、西天下茶屋にも街を南北に貫くアーケードが存在する。つまりは全天候型のコンテンツがそこにあるわけだが、雨に濡れた脇道にふと視線をやると、ただひとえに「相談所」を名乗る看板が目に入った。結婚なのか、法律なのか、はたまた市政なのか、何を専門にしているのか、まるで判断がつかない。勘亭流の使用をもって何かを察せよということか。残念ながら、それがかなうほどの見識はない。
識者の意見を仰ぎたいところだが、実はそれだけ広範な悩みに答えられるとの自負の表れかもしれない。看板が示すその先に、結婚にも法律にも市政にも明るい「西天下茶屋の母」が待っている可能性は、決して排除できない。ここでうじうじと考えを巡らせず、堂々とその門を叩いた末に開ける未来も、きっとあるはずだと信じたい。知らんけど。
顧客志向はショッキングピンク
先日、京橋のさる人気立ち飲み店の前を通りかかると、開店前から目算200名近い人々が行列をなしているのを目撃し、驚嘆した。人の行動に口を挟むべくもないが、アルコールを伴う店でいつ終わるともしれぬよその酒宴を待ち続ける胆力に恐れ入ったのである。
一方、こちらの写真は阪堺今池電停の直下。ここ数年のうちに並びのホルモン店の人気が炸裂し、おいそれと立ち寄れる状態ではなくなったことを知る読者諸賢も少なくないと思う。いずれの店に行くにせよ、待ち時間に飲酒を我慢できる自信はない。京橋であれば[京屋本店]、今池であれば[橋本酒店]あたりの大箱に流れるかもしれない。こうなると意思が堅固なのか薄弱なのか、自分でもいよいよ分からなくなってくる。
経営的な観点からも、ファストパスを導入してはどうかなどと老婆心が首をもたげたところで、本題である。洋品店の軒先、行列とは反対のテントとテントの切れ目に生じた空白を埋めるかのように、ショッキングピンクの傘が渡されていたのだ。ストリートビューを確認すると、少なくとも2015年12月時点から、いくらか控えめな色合いのパラソルが設置されてきたこと、その直下にびっしり商品が陳列されていたことが分かる。天候にかかわらず、より多くの選択肢を提示せんとの心配りに、思わず目頭が梅雨入りを迎えそうになる(もう少し気の利いたことを言いたかったが、そこはお笑いの素養がないので堪忍してほしい)。
極限まで矮小化された「西成イメージ」を一手に引き受けるこのあたりから新世界にかけては、僕が飲酒を習慣化させる契機を与えてくれた場所だが、空前のホルモンバブルが勃興して以来、足が遠のいていた。だが、そのすぐかたわらでは地元の需要を満たそうという、変わらぬ商いが展開されていた。折しも「ベタなものを体験してこそ、変化球について語れる」というような話を聞き、膝を打ったばかりだ。いまこそ大見得を切って心斎橋なり、三ツ寺なり、裏なんばなりに突撃すべきなのかもしれない。先般、そうした目的意識のもとに竹下通りから裏原を歩いたところ、まずまず疲弊してしまったわけですが。