ツッコミ

明けましておめでとうございます。去る1月2日、34歳の誕生日を迎えた関根デッカオです。祖母などは、初孫が三十路も半ばを過ぎても頭髪を伸ばし続け、ネクスト初孫の兆しすら感じさせぬまま、ふらふらしていようとは考えてもみなかったと思います。気づけば「四捨五入すれば30」とうそぶける期間も、残り1年を切ってしまいました。

誕生日アピールもそこそこに(ちなみに昭和64年生まれです)、2023年はうさぎ年ということで、今回のテーマは「新春! 浪花うさぎ三景」としました。ところで、うさぎと聞くと関根姓の僕には、どうしてもラビット関根の顔が思い起こされます。

今年こそ、関根勤、関根麻里父子に次ぐ第三の関根を目指すうえで弾みのつく1年にしたい。特定の血族にのみ、関根姓を代表させてよいはずがない。酒席にて安直に「ラビット」「つとむ」などとあだ名される現況を、早々に打ち砕かねければなるまい……。

そう鼻息を荒くしていたところ、亡き関根潤三御大の存在を思い出しました。ヤクルトファンとしてどうなんだ。

巧みな商品企画に乗せられて……

(大阪市浪速区)

企画担当者には、果たしてどういった意図があったのか――なんばから大国町方面へと南下する道すがら、ある建物の外壁に貼りつけられたうさぎに思わず仰天した。世が世だけに、詳細な言語表現を試みるのはリスキーかもしれない。うさぎの旺盛な繁殖力について話を聞いたことがあるが、そうした縁起のよい情報がこのフックのコンセプトに反映されているのだろうか。

改めて注視してみると、大胆なフォルムとは対照的な柔らかい表情に目がいく。時間経過に伴う汚れは、過ぎ去りし牧歌的な時代が、思い切った商品企画の背中を押したことを想像させる。左後ろ足のやたら自由な表現には、どこかアンフォルメルな色合いを感じなくもない。フックとしての機能を放棄し、劣化を受け入れつつ純粋な造形物として空間を占めるさまは、コンセプチュアルアートに違わぬ存在感で、見る者を惹きつけてやまない。

ひるがえって現代はどうだ。とかく息苦しい場面が多い。人の家で「ちょっと用事あるから(テレビで)YouTubeでも見といて」と言われ、工場見学の動画を繰り返し視聴しようものなら、「履歴が荒れた」と大目玉を食らうことさえある、そんな世の中である。このうさぎに込められた広義のおおらかさに、我々はもっと学ぶべきものがあるのではないか。

こじつけの限りを尽くしながら、大阪における蘭州牛肉麺のパイオニア[周記蘭州牛肉面]にたどり着く。卓上のケースから紙ナプキンを取り出そうとすると、天地逆さまに収納されていることに気づく。日本式の商習慣に媚びないこの店にもまた、大陸的なおおらかさを見出すのであった。

モヒカンうさぎに去りし日を思う

(大阪市福島区)

僕が暮らす野田周辺には、戦災をくぐり抜けた町家や長屋が多く残されており、散歩する動機に事欠かない。大阪駅から環状線でわずか5分のところに、そうした光景が広がる様子を「のどか」と言い表したこの街の住人がいたが、実にうまい形容だと思う。梅田の喧騒は言わずもがな、福島や天満のあのバルバルした雰囲気にもなじめない(※)。かといって、交通と飲酒の便は捨てがたい。そういった次第で、人はのどかでいて便利な野田に行き着くのではないかと考えている。さりとて、家並みだけでは飽き足らない僕は、散歩の合間にしばしば視線を落とす。人の足元ではなく自らの足元を見るあたりに、うそをつけない実直な人柄がしのばれるというものだ。

※バルバル:[副](スル)高架下や路地などに、こじゃれたバルないしそれに近しい店舗が林立し、関根が勝手に萎縮するようなさま

しょうもない脱線はさておき、野田の路上で見かけた円筒形のプラスチック容器である。おもちゃか何かを収納していたのだろうか。見ての通り、一輪車を乗りこなすうさぎが描かれているが、アイデンティティの源泉である耳付近は切除され、わずかに写り込む「BUNNY」の文字がなければ、スヌーピーやポチャッコの親戚筋かのようだ。代わって顔をのぞかせるサボテンはモヒカンさながらで、車輪付近に付着した泥はスピードの出しすぎを思わせる。加えて左手にはなぜかステッキを引っ掛けているが、車輪に巻き込む危険性等々を顧みないのか。いずれにしても相当なパンクスなのだろう。

中学校から大学にかけて、バンド活動をともにした岡田という男がいる。関根の才能に限界を感じたらしく、やがて彼はバンドを脱退するが、次なる可能性を求めたのがまさにパンクだった。たもとを分かった岡田は、ホームセンターで購入したくさりを腰からぶら下げるようになり、手元がわずらわしくなったのか楽器も手放してピンボーカルに。音痴も矯正され、ややあって寝屋川のパンクアイコンに登り詰めたらしい――というのも10年近く前の話で、いまや彼も一児の父である。経済観念のきっちりしたパンクロッカーに脱兎のごとく追い抜かれても、僕は変わらずヘラヘラしている(どうぞお幸せに)。

群れからはぐれたうさぎが一羽

(大阪市西成区)

道路工事現場などで、動物モチーフのガードフェンスがずらりと並ぶようになって久しいが、このうさぎはどうやら隊列から引き離されてしまったらしい。野生のうさぎは群れをなして生活するという。そのことを思えば、たった1羽でポツンと任務を遂行する姿は、あまりに悲しげだ。飛田新地をやや北に行った上町台地の崖下というロケーションが、ビジネスパートナーが無機質なカラーコーンに変わった現実が、哀感をさらに増幅させる。

近隣ではここ最近、有名物件であるところの旅館[明楽]が取り壊されるなど、老朽化した建物の解体が進められてきた。僕がこのあたりに通うようになったのは、とある放送局でカメラアシスタントをしていたとき、つまりこれも10年ほど前のことだ。明け勤務を終えては新世界に繰り出し、自らが取材したニュース映像を見つつ飲酒したのち、山王付近を散歩するのがルーチン化していたが、往時に比べて古い建物の数は明らかに減少した。再開発の流れは、確かに加速しているというわけだ。あくまで推測の域を出ないが、解体現場で用いられたガードフェンスがその任を解かれた結果、バラバラになって孤独な余生を過ごしているのかもしれない。

せめてもの救いは、酒井法子のヒットソングにあるような「うさぎは寂しいと死んでしまう」との言説は、どうやらデマらしいということだ(もっともこちらは碧くないが)。ただ、個人的にはあの歌詞ほど健気にはなれそうもない。きちんと現世利益を追い求める、そういう1年にしたく思う年頭である。

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