「生まれた時に死んでた」天下茶屋で不良を更生させ続けた、喫茶フレンドのマスター

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トミモトリエ

ツッコミ

半世紀続く喫茶店が残る天下茶屋エリア。東口駅前の[バード]、西側の[紫苑]、岸里方面に行くと[カド]があり、北天下茶屋にある[ナカノ]や、西天下茶屋にある[マル屋]など、私が愛してやまない喫茶店が密集している。

そんな天下茶屋で、何度も近くを通っていたはずなのに見過ごしていた店がある。

天下茶屋東口から徒歩3分のところにひっそりと佇む[喫茶フレンド]。

訪れたのは2022年8月。食べログに情報なし、Googleマップにも写真なし(と思ったら2ヶ月前に初レビューが投稿されていた)。喫茶店マニアや昭和レトロマニアの一部に、水森亜土のマッチがもらえる店として知られている[喫茶フレンド]。

営業時間は早朝4:00から12:00まで。「前は5:00オープンだったけど、最近早く起きるから……」と語るマスターの山口さんはもうすぐ80歳。

彩度低めの店内。煙草の煙で燻された、昔は白かったであろう壁には、大阪では「街のいたるところにステッカーが貼られてる」でお馴染みの元プロボクサー・井岡弘樹の若かりし頃のポスターとサイン。

18歳の時に国内最年少で世界チャンピオンを獲得した井岡弘樹。
他にもボクサーの写真が多い。
井岡弘樹の甥っ子、井岡一翔のサインも。

アイスコーヒーを注文すると、もう一言を待っている様子。しばらくして「マッチいらんのか?」と聞かれた。マッチをもらうために遠方から喫茶店マニアが来ることがあるらしく、私もそのひとりだと思われたようだ。せっかくなのでもらうことにする。

「ください」と言うと、得意げに「ちょっと待ッチ」と返すマスター(かわいい)。渡された二つのマッチは、ザ・昭和レトロな水森亜土のイラストが表と裏でつながっている。開店当初に作ったものがそのまま残っているらしい。みんなこうやって写真を撮っていくんだよ……と、写真の撮り方も教えてくれた。

冷コーとマッチ。 
「こうやって撮るといい」とレクチャー。
ちゃんと火がつく。

👩‍🦰「このお店何年やってるんですか?」

👴「もう50年くらいちゃうかな?もともと嫁さんがやってた店や。」

マスター曰く「うちの嫁さんはめちゃくちゃ遊び人で、しょっちゅうこのへん飲みに行ってたんやけど、前にここの店やってたママがやめる〜いうて、あんたやりや〜言われて、調子乗ってはじめた」らしい。奥さんは2021年に亡くなり、今はマスターが一人で切り盛りしている。

👴「俺は全然喫茶店する気なかったんやけどね。60過ぎまで他の仕事してたから。」

👩‍🦰「そうなんですね。マスターは何の仕事してたんですか?」

👴「そんなん言うたらなんぼでも話できるけど……」

と、興味本位で発した一言から火がつき、怒涛の2時間コースでマスターの人生を聞くことになった。只者じゃない別の顔に、目が飛び出しまくりだった。

只の喫茶店マスターじゃない……只者じゃない経歴

中高生時代は「やんちゃでよう喧嘩してた」という山口さん。勉強も全然できなかったけど、商業高校時代にとあるきっかけからそろばん塾の手伝いをすることになり、7〜8年そこで働いた。子どもたちの面倒を見るのが好きだったという。

👴「高校生の時、地元の不良と喧嘩してな。俺1人に対して5人くらいに囲まれて、流石に勝ち目なくて逃げ込んだのがそろばん塾やった。」

👴「そろばんも全然できんかったから、最初は小2の子に負けとったで。」

その後、自宅兼喫茶店の2階でそろばん塾を開業。手伝っていたそろばん塾を辞めた後、山口さんが独立して開業するという噂が勝手に広がり、やらざるを得なくなったのだという。当初7人だった生徒は130人まで増えた。同時に自動車の運転手の仕事もしていたらしい。

朝は喫茶店の手伝い、昼は自動車の運転手の仕事、夕方からそろばん塾………それだけでも大変そうなのに、子供会や青年団の青年指導員も任されていた。

「そん時の写真や〜」と、当時の写真を持ってきてくれた。

「これは塾の遠足で京都の笠置山に行った時」「これが子供会の運動会」「クリスマス会もしたな」

山口さんが面倒を見ていた子どもたちとの思い出。子どもが好きなのがひしひしと伝わる。

……ん?

この人もしかして……

右は30代の山口さん。
左は自民党幹事長時代の中曽根さん。

👩‍🦰「これ、中曽根元総理大臣じゃないですか。マスター何者なんですか……?」

次の引き金を引いたようで、山口さんのスイッチが入る音がした。

👴「すごいもん見せたろか……?」

👩‍🦰「え? あ、はい。」

「準備するから待っててや」と言い、外に出ていった山口さん。10分くらいすると「こっちこっち」と手招きされ、常連客をひとり店に残したまま、隣にある自宅の玄関に案内された。

👴「多分、はじめて見るんちゃうかな。」

ズズズ……

なんかすごいの出てきたぞ……? え??? でか!

👴「これを2つ持ってるのは相当珍しいらしい。」

日本国天皇からの勲章。
「藍綬褒章」と「瑞宝双光章」。

日本国天皇からのなんかすごそうな勲章。

👩‍🦰「すご。これ何の勲章なんですか?」

👴「瑞宝双光章(ずいほうそうこうしょう)や。」

👩‍🦰「何したらもらえるやつなんですか?」

👴「全然わからん。」

👩‍🦰「え?そんなことある!?」

もう一つの「藍綬褒章(らんじゅほうしょう)」には「保護司としてよく更生保護事業に寄与した」と書かれている。

35歳の時に保護司に任命されてから、任期を更新し続け、76歳までずっと保護司を続けていたらしい。

👩‍🦰「あの、無知ですみません。保護司って何するんですか?」

👴「例えば、犯罪を犯して捕まったやつが仮釈放されて執行猶予になるやろ。その間、更生できるかを見て社会復帰を世話する仕事や。保護観察期間中、月2回くらい面談して、帰省先を世話したり。」

保護司とは:犯罪をした者及び非行のある少年の改善更生を助け又は犯罪の予防を図るための啓発及び宣伝の活動が任務。保護司は、保護司法・更生保護法に基づき、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員で、犯罪や非行に陥った人の更生を任務とする。犯罪や非行に陥った者が保護観察を受けることになると、その期間中、保護観察所の保護観察官とともに、対象者と面接して生活状況を調査し、保護観察中に決められた約束事(遵守事項)を守るように指導をし、生活相談など社会復帰への手助けをする。また、刑務所や少年院などの矯正施設に入っている者について、釈放後の帰住先が更生のために適当かどうかを調査し、その環境を調整する。
by Wikipedia

👩‍🦰「そろばん塾しながらそんな仕事もしてたんですか?」

👴「他にも、民生委員と行政相談員もしてたで。」

👩‍🦰「え???」

👴「民生委員っていうのは、生活困窮者を世話したりする仕事や。」

👴「今でもやってるのは行政相談員。日本の総務省に対して言いたいことあったら、僕を通じて言うことになってる。」

👩‍🦰「すんご……っていうか全然知らない世界でついていけない。詳しく聞きたい。」

👴「まあ、他にもあるけど……ちょっと待ってや。」

と、またまた10分ほど待つことに。

ドサッ

この時すでに12:00をまわってお客さんはゼロに。

👴「こんなん200枚くらいあんねんけどな。」

表彰状や感謝状や任命書の束。

『行政相談員として国民の行政に対する苦情の解決に尽力した表彰状』

『防犯委員として防犯活動を積極的に推進し安心安全なまちづくりに寄与した感謝状』

『人権啓発推進員として啓発活動に貢献した感謝状』

『赤十字奉仕団体役員として尽くした感謝状』

『国税調査委員として尽力した感謝状』

などなどなどなどなど……

色々感謝されすぎだし尽くしすギィイ!!

他にもいろんな委員の名前があったけど全部拾いきれなかった。

行き場のなくなった問題児たちの居場所だった

👩‍🦰「これって全部ボランティア活動なんですか?」

👴「せや、報酬はない。むしろ会費払わなあかんねん(笑)」

👩‍🦰「そうなんですか!? 立候補したらなれるもんなんですか?」

👴「保護司になるのはめちゃくちゃ難しいよ。保護観察所の推薦が必要やし、審査が厳しいから、なりたくてもなかなかなれへん。無償やけど、法務大臣が認める非常勤の国家公務員って立場や。俺は家で商売してるから、家おるならやってくれ〜言われて。」

👩‍🦰「そんな仕組みがあるなんて、全然知らなかったです。」

👴「法律で決まった定員があるんやけど、だいぶ少なくなってるな。定員は全国で52,500人やけど、今は45,000人くらい。各区で2〜3人かな。保護司の高齢化も問題になっとる。」

👩‍🦰「国が認める資質がないとなれないけど、人数足りてないのか。」

👩‍🦰「児童委員は何をする仕事なんですか?」

👴「民生委員と同時にやらなあかんねんけど、児童委員は子どもたちを見守る仕事や。毎日パトロールして、何か問題があったらかけつけて、指導したり、警察呼んだりする。昔はこのへんも治安が悪かったから。」

👩‍🦰「あー、登下校を見守ったりするやつですね。」

👴「あとは、問題児おったら補導して指導したりな。中学校で暴れるやつおっても、警察官は学校の中には入れんから、そういう子ら捕まえて、うちで引き取ったりしてたわ。」

👩‍🦰「えっ? 引き取る? そんなことまでするんですか?」

👴「それは勝手にやってたことやけど。」

非行を繰り返す中学生を補導して警察に連れて行っても、親を呼ぶと「こんなやつもういらん!出てけ!」といわれ、中学校の先生からも「学校も面倒みれん!」と突き放される。そうして行き場のなくなった問題児を「今日から俺んとこ来い」と、山口さんの家に住まわせてたらしい。漫画の世界やん……。

👴「その子は2年面倒見たな。そういう子ら何人かおって、よう考えたらありえんことやってたわ(笑)」

👩‍🦰「マスターのお子さんもいるんですよね。一緒に育ててたんですか?」

👴「俺の子は、うちに出入りしてたやつらが面倒見てくれてたわ。毎日のように高校生とか大学生とか2〜30人家にきて、みんなでメシ食って。ヤクザの娘とか、3〜4人そんな子もおった。」

👴「元ボクサーの井岡弘樹も毎日のように来とったよ。」

「これやるわ」と、井岡弘樹ステッカーとブロマイドを渡された。ステッカーだけもらって帰った。

(マッチだけじゃなくて井岡ステッカーがもらえる店だったとは……)

喫茶店とそろばん教室、そして行き場のない問題児たちの居場所。更生した元問題児たちが出入りして、子どもたちの面倒も見てくれていたという。

他にも、防犯委員として、近所で大火事があった時に消防車が来る前にかけつけて火を消したり、誘拐犯をつかまえたりしていろんな感謝状をもらったという話がこれまたすごすぎた。

👩‍🦰「それ、防犯委員というか、消防士や警察官の仕事ですよね。」

👴「近所から消火器20本くらい集めてな。消防車来てから驚かれたわ。普通こんなの消せへんでって。」

👩‍🦰「すごすぎません?」

👴「誘拐された子は、いたずらされて殺されそうになってたところを捕まえて、警察来るまで逃がさないように腕掴んで。そういうときは咄嗟に力出んねん。怖いとも思わん。」

子どもが帰ってこないという連絡を受け、近所の人たちに声をかけ、すぐに探しに行った山口さん。2人1組で行動し、山口さんが誘拐犯を取り押さえ、その間にもうひとりが警察へ。携帯電話もなかった時代、事件が多かった天下茶屋の治安を守り続けた……(絶句)

👩‍🦰「マスターってテレビに出たこととかないんですか?」

👴「ないよ。新聞は何回か載ったことはあるけど。」

嘘でしょ!? 隣の人間国宝さんも来てないの? 隣の人間国宝さんどころか本気の人間国宝に認定した方がいいと思う。今すぐ。

「生まれたときに死んでたから」

どうしたらそんな奉仕の精神で生きられるのか……? その問いにまさかの答えがかえってきた。

👴「勉強もできんかったし、秀でるものがなかったから……。死ぬまで何していいかわからんかってん。死ぬまでの時間つぶしと思って人に頼られることなんでもやってたら、思いの外長生きしてしまったわ(笑)」

👩‍🦰「自分の夢とかこれからやりたいことってないんですか?」

👴「ないなぁ……」

👩‍🦰「人のためだけに尽くしすぎですよ……!」

👴「俺、生まれた時死んでたらしいねん。」

👩‍🦰「え?」

山口さんが生まれたのは終戦前の昭和19年2月。病院で出産するような環境ではなく、自宅で出産。仮死状態で生まれ、しばらくして奇跡的に蘇生したという……。

👴「おぎゃー言わんかったらしい。生まれた時死んでたっていう話を聞いてたから、死ぬのが怖くないんやろな……。明石家さんまさんやないけど、生きてるだけで丸もうけや思ってるわ。」

👩‍🦰「生きてるだけで丸もうけ……いや、マスターが生まれてくれたおかげで周りが丸もうけですよ!!ありがとうございます!!!」

「この話、いつか記事にしていいですか?」と聞くと、「ええよ」と軽く答えてくれた。写真を撮る時は少し照れていた。「そうそう、マッチ目当てのお客さんに、昼には店を閉めてるから早い時間に来るよう伝えてな。」とのこと。

駅前にショッピングセンターやスポーツセンター、高層マンションが立ち、安全な街になった天下茶屋。早朝から店を開けて12:00に閉めた後、今でも街を観察しながら、行政相談員の仕事を続ける山口さん。2月で80歳になる。

👴「この喫茶店は俺の代で終わりやから、いつまで続けられるかわからん。」

壁にズラッと並ぶ常連客のコーヒーチケット。この日も常連客が入れ替わりで訪れていた(山口さんが感謝状を探しに行ってる間は私が店番をして、2人に「あ、今どっか行ってます」と伝えた)。

「慈善」とか「人情」という言葉では片付けられない。この場所に刻まれた濃いいいいエモを吸いすぎて、帰りは真っ直ぐ歩けなかった(マジでフラフラした)。

情報を整理するのにだいぶ時間がかかってしまったけど、ようやくこの原稿を書き上げたので、明日は喫茶フレンドの早朝モーニングをキメに行こうと思う。

(つづく)

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